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三河 長篠城跡

①オープニング

同行者Dさん
とても仲良くさせて頂いている城ともさんのお一人。
画像使用許可して下さりありがとぉ
うん、たしかに変な歩き方ですね、Dさん笑


こんにちわ
ソバッソです。

朝から奈良で運営会議でして、ボコボコにたたかれるかなぁと思っていましたら、思いの外すんなり終わりまして半休を取得して京都へ帰ってきました。
14時過ぎに帰れましたので、嫡男を保育園へ迎えに行くまでの間に、過去の散策を記事にすることにしてみました。


今回は、平成30年3月に行きました「長篠城跡」です。
武田と織田の長篠合戦で有名な100名城です。

鳥居強右衛門(とりいすねえもん)が脱出して、織田の援軍を呼びに行ったんですよね。
そして帰路で武田に見つかり、磔にされて城内に援軍が来るぞーと叫びながら殺された、という英雄譚が有名なアレです。

詳しくはウィキペディアかなんか見てください
ウィキさん、宣伝しときましたんで



⓪長篠城跡平面図

「新城市、設楽ケ原歴史資料館より頂戴
愛知県教育委員会発行「城館跡調査報告書」より引用
無断転用、または複製禁止」

行政さんありがとうございました。



⓪長篠城跡現地看板

ハイこれまたいつもの現地看板との比較です。
分かりやすいように、向きをそろえてみました。

城館報告書の平面図よりも、現地看板のが分かりやすいと思います。
現地看板の
左上が大手
右上が搦手
になりますので、正規ルートとしては
家老屋敷→弾正郭→二ノ丸→本丸
といったところでしょうか

端っこに主郭がある梯郭式になるんかな

この城郭の生命線は、土塁と堀と河川です。



②駐車場前資料館

駐車場(無料)前の資料館です。
看板の巴城郭のあたりになると思います。

この城郭、不思議なんですが、本丸に向かって下っていく立地になっているんです。
豊川と宇連川が後ろ堅固で、各郭間に水堀がめぐっているので、確かにそうそう侵入できる縄張りではないのですが、少々防御が弱いように感じます。

看板左下に大通寺山と表記の山があります。ここは長篠合戦で武田陣営の馬場信春の陣跡があります。
看板には映っていないのですが、その左下には武田勝頼本陣跡があります(ちなみに今はサークルKが目の前にあり、その裏手に堀跡が残ってます。写真撮っておけば良かった。。。)。ここがもしや長篠城の出城?
山と川の両方から街道を挟撃する形で防御していたのかな?とこれは妄想です。

とにかく、長篠城跡単体だととても弱い印象を受けました。



③後光注す空堀

資料館から進むとすぐに、最大の防御設備である堀と土塁が出現します。
右奥が主郭、いわゆる本丸です。
左奥が侵入方向ですね。



④主郭入り口

この奥が本丸です。
ここはパカっと空いて道が出来ており、簡単に入ることが出来ます。
しかし当時はこの道はなく、木橋がかけられていたもしくは、これよりも細い土橋になるのかと思います。

ここが最大の防御壁になったのか
それとも外周にもっと強固な土塁があったのか
現在の城跡からはその辺りは読み取ることができません。



⑤Ⅳ郭

奥に見えている離れた場所が弾正郭だと思います。
なかなか独立している感じがよく分かりますね。
ここも橋で接続していたんでしょう。



⑥Ⅳ郭との堀

深いね。
弾正郭の堀です。
これが豊川に合流するんでしょう。



⑦土塁から主郭

主郭側から土塁に登れます。

また例のごとく、男の子だから高いところにはついつい登っちゃうの。
あ、よく考えたら主郭は散策してないやん。。。



⑧土塁から二ノ丸

土塁の上から二ノ丸を見ています。
堀がしっかりとえぐれています。
当時はもっと深かったんでしょうか。

二ノ丸、なんでここまで広くしたんでしょうね。
真ん中あたりにもうひとつ土塁で虎口作って、二ノ丸の左奥くらいから本丸に侵入する門を作っておけば、もう少し強固になったように思いますが。。。

なんか理由があるんやろうなぁ
勉強不足だわ。



⑨土塁から野牛郭方面

あそこに一か所だけちょこんと土の塊がありますが、彼はこの土塁の一部です。
飯田線を通すために分断されたようです。



⑩線路

これ飯田線ね。



⑪土塁とセンセ@長篠城跡

彼は同行者の城ともA
彼との城めぐりもコレで15城近くになるねぇ

それにしても…
この男…
またコートで城めぐりしやがる…

今回の奥三河の城めぐりは、一日で合計5城行きました。
そこまで比高の高い城跡はなかったのですが、いい天候で動くとそれなりに暑かったハズやのに、この男は汗をかいていなかったような気がする。

記憶って曖昧やからなぁ
そーいやコート脱いだ姿を見た記憶がない
彼のコートの下は一体どうなっているんだろうか…


履いているといいんだが…



⑫土塁を貫く@長篠城跡

コレ飯田線。
土塁を貫く瞬間。

左が本丸で、右に一段下がったところが野牛郭。



⑬土塁断面図@長篠城跡

土塁の断面部分です。


料理番組でハンバーグ作って、肉汁ジュワーのインサートを撮るときに、ハンバーグを割って観音開きにパカってしますやん。
アレみたい。

…違うな

うん、書いてる途中で自分で違うって気づいたよ。
でも思いついたんやから書いてみないと、と思って書いたんだ。
自分でひねり出したアイディア、大切にしていこう。



⑭土塁裏側@長篠城跡

土塁の裏側です。
ここを越えれば野牛郭。
しかし越えるのは至難の業ですね、左は崖です。

長篠城跡は対して険しくないとナメておりましたので、じつはサンダルで散策しています。
ナメているとケガをする、それが城跡。

みんな、装備はしっかりしていこうぜ。



⑮野牛郭より主郭を@長篠城跡

そんなこんなで、サンダルでしたが細心の注意を払い土塁を越えて野牛郭へ侵入しました。
廃屋がありましたので少々気をつかいましたが、たぶん入っても大丈夫なんやと思います。

主郭を見上げるとなかなかの高さがありますね。

ここはどういう役割の場所なんやろう。
防御は弾正→二ノ丸→本丸って感じですよね。

野牛やし厩って書いてあるし、馬場みたいなモンなんかなぁ。
でも井戸っぽいもんあったし、炊事もできた千畳式みたいな役割もあったのかな。
裏手に河川が流れているので、何かしらの物資運搬は上流から出来そうですよね。
野牛門から外に出て、その物資を受け取っていたのでしょうかね。

最初は
弾正→二ノ丸→野牛→本丸
かと考えていたんですが、それだと本丸門があの位置にあるのが説明つかないよね。



⑯野牛門跡@長篠城跡

この辺が野牛門跡なんだと。
道があるので、降りてみましょう。

城跡の端まで見て、初めて攻略です。



⑰門跡を見上げる@長篠城跡

こんな感じで折れた道になっています。
少し下ってから野牛門跡方向を撮影しました。



⑱天然の要害@長篠城跡

豊川です。
水量が豊富ですね。

スネ毛衛門はここから脱出したんかな。



⑲物見かな@長篠城跡

物見かなんかの場所っぽいですね。



⑳食い違い@長篠城跡

似たような写真で恐縮ですが、食い違い感がでてましたのでアップします。
以上が残っている防御設備です。



㉑大手門跡を探しに@長篠城跡

最後に駐車場へ戻り大手門跡を探しに行こうという話になりました。

微高地になっているのが伝わるでしょうか。
この一段上がった場所が、もしかしたら外周の土塁の名残なんかなぁ。
しかし、やっぱり主郭が下がってしまうから、勝頼本陣から本丸の動きが丸見えになっちゃうような気がするねんなぁ。

あ、ちなみに左奥に看板が上がっていますが、あれが有名なモジャ毛衛門の磔看板です。



㉒大手門跡…@長篠城跡

ハイ
大手門跡近辺です。
国道151線沿いに3分程度歩いたら到着しました。

それらしいものは見つけられませんでした。
何か情報お持ちの方は、ぜひ教えて下さい。

当時の街道はどこやったんでしょうねぇ。


あ、よく見たらセンセちゃんと履いてるわ
ヨカタヨカタ
センセのモジャ毛衛門を見なくて済んだわ。


おしまい



●追記です。
①「画像④の主郭入り口の防御が弱いように感じる点」
②「画像⑨の土塁と野牛郭への侵入路はどれ?」
上記二点について、後日に設楽原歴史資料館さまに質問を投げかけてみました。
丁寧にご回答いただき、ありがとうございました。

長篠城跡の防御を知るうえで、非常に重要な情報なので、ここに記載してご紹介させて頂きます。


  ① 
> 史料Ⅰ郭の虎口の前には3m幅の道がありましたが、当時のサイズはそのままなのでしょうか?
> Ⅲ郭からⅠ郭への侵入があまりにも容易に出来る形になっていたので気になりました。
回答:
  主郭(本丸)から保存館建物がある曲輪とは、限定的な発掘調査成果から
  少なくとも幅が1m以上の土橋で連絡していました。
  また、現在は弓道の矢場がある部分(土橋の西側)は堀が埋められた平坦地
  となっていますが、本来は現在する主郭の大土塁と堀は、この土橋を挟んで続い
  ていたことが発掘調査から分かっています。
  そして、保存館建物の直下には半円状の堀があったようで、主郭の前面には丸
  馬出があったことも明らかとなっています。

> ②
> Ⅲ郭とⅠ郭の間を隔てる大土塁ですが、線路を挟んだ場所にある高台とは繋がっていなかったのでしょうか?
> 史料説明文には野牛郭への虎口と記載してありましたが、現地看板には土塁が続いているように表記されていました。
回答:
  現存する大土塁と線路を挟んで残る土塁状の高まりは、繋がっていなかったものと捉えています。
  近世の絵図から曲輪Ⅱ(野牛曲輪)に至る虎口が想定されるためです。
   しかしながら、発掘調査成果に基づく推定図でもないため、過去の長篠城址史跡保存館長の
  研究成果の諸説として、土塁が繋がっていた様子も今も否定できないため、あえて問題提起の
  意味も含めて、当寺の看板のままで設置しています。
  説明看板が混乱させる記載となっており、大変申し訳ありませんが、このあたりの諸事情を
  鑑みて、ご容赦願えれば幸いに存じます。


これを踏まえて、再訪しないといけませんねぇ。
また城跡に行きたくなってきた。。。


ホントにおしまい
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プロフィール

ソバッソ店長

Author:ソバッソ店長
城跡に行きてえ。城下町に行きてえ、山城に行きてえ。。。
と、日々悶々と過ごしている30'sです。

京都市在住で聚楽第跡の上で生活(ていうても洛外ですがね…)しているので、「平安京→秀吉さんの作り上げた聚楽第→家康が完成させた現代の京都→現代に続く。。。」を日々通勤時やらフォレスターでのドライブやらチャリンコやらで、フラフラと動いております。

●城跡
●城推定地
●縄張り図
●城下町
●遠征先のメシ
○ときどきパン屋
などをアップしていきます。

皆さまの城めぐりライフの、良きお供になることが出来れば幸いです。

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